もてなしとくらしの中のバラ水

 玄関に、客をむかえいれるときに、ひとりひとりの客の頭の上に、マワルドとよばれる薔薇水をはらはらとふりかけるもてなしにはじめてあずかったのは、もう四〇年ほど前になります。メッカの近くにいた遊牧民のところでした。「あれれ、びしょびしょになるじゃないの」と一瞬、たじろぎましたが、かわいた沙漠のなかで、しっとりと薔薇の香りにつつまれるのは、なんともぜいたくなもてなしなのです。(中略)四〇年前にくらべると、なくなってきているようですが、沙漠の遊牧民たちのあいだでは、まだ健在です。薔薇水のかわりにオーデコロンをつかいだしたベドウィンも、このごろではふえてきました。町では、このもてなしはほとんどみられなくなりました。

 しかし、薔薇水そのものは、依然として店の店頭に山とならべられています。飲み水に、ポトンと一滴おとされたり、アラビアの凝ったお菓子づくりには欠かせません。あちこちで、あいかわらず珍重されているのをみます。このごろでは、日本でも、つかわれるようになってきています。

(『ゆとろぎ―イスラームのゆたかな時間』 62-63頁より)

この記述に関連した最新の現地調査による研究成果は『サウジアラビア、オアシスに生きる女性たちの50年』(河出書房新社、2019年)136-137頁「もてなしのバラ水」にあり

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