子どもたちは、あらゆる機会に、大人のやっていることをおぼえようとします。実際にやってみる。うまくいかない。何とかうまくやろうと懸命になる。といった過程を、多かれ少なかれ経験しながら、いつのまにか、仕事をおぼえていくのです。労働そのものには価値をおかないのですが、それができるようになるということ自体に、成長していく自己のアイデンティティをもつようです。
遊牧生活をするうえで必要な銃の扱いなどでさえ、教えられておぼえるのではありません。大人たちは「あぶないから気をつけてやれ」などというようなことを言いません。まれに、年長の兄から銃の撃ち方を教わっているのをみて、「よかったね。お兄さんに教えてもらえて」と、わたしが何気なくいうと、憤然として、「教えてなんかもらっていないよ。ぼくが自分で習ったんだ」と気色ばんで応答されてしまいます。「自分が、かってに自分で学んだんだ」というセリフは、子どもたちのたいへんお気に入りで、たびたび聞かされたものです。
(『ゆとろぎ―イスラームのゆたかな時間』40頁より)
この記述に関連した最新の現地調査による研究成果は『サウジアラビア、オアシスに生きる女性たちの50年』(河出書房新社、2019年)146-147頁「暮らしのなかの学びと成長」にあり