はじめのうちは、カメラもテープレコーダーもフィールドノートも、何も持たず、手ぶらで何げなく訪問し、他愛のないおしゃべりで共に時を過すことを重ねた。
そんな無駄なような時間を費しているうちに、その人たちは、今、どんなことを問題にしているのか、欲しているのかがわかってくる。例えば、意外に教育熱がさかんであること、女子の学校、母親学級の先生は、女性でなくてはならないが、エジプト、パレスチナなどからの女性の先生が少数しかいないで困っていることなどが判明してくる。そこで私は、女教師になることを志願する。遊牧民社会はある意味でオープンな社会なので、よそ者である私を喜んで雇って(?)くれた。アラビア語の発音には訛りがあるが、字が書ける、読める能力があるということを認めてくれたのだ。遊牧社会の持っている「実力主義」の一つの表われでもある。社会開発センターからまわしてもらった教材を使って、彼女たちにアラビア語のABCや、アラビア数字を教え出す。読み書きの能力があると彼らは買いかぶってくれたが、まずまずこの辺のことを教えるのだから、私の実力でなんとかぼろが出なかったわけだ。
(『文化人類学 遊牧・農耕・都市』、40-41頁より)
この記述に関連した最新の現地調査による研究成果は『サウジアラビア、オアシスに生きる女性たちの50年』(河出書房新社、2019年)154-155頁「時代の変化を肌で感じてきた女性」にあり