もうひとつの文明を考えてみるのに、わかりやすい鍵は、アラビア語で、ラーハと呼ばれるものではないかと思えます。日常の生活のなかに、なにげなく存在する「ゆとり」や「くつろぎ」です。
日本では、何かを成し遂げたあとに、ごほうびのように、あたえられるのが、ゆとりで、それは物質的ゆとりであることが多いようです。それをめざして一生懸命に働いたから、ちょっとくつろぎましょう、という具合に、「くつろぎ」も、「ゆとり」も、仕事のあとにくるもののようです。
しかしこの世界では「ゆとり」と「くつろぎ」も人生のなかで、まず大事にされるべきものと考えられます。「ゆとり」の時間をもつために、仕事もする、が、仕事自体がラーハになればそれにこしたことはない。
ラーハには、「学ぶこと」、「ねむること」、「瞑想すること」、「旅をすること」など、いろいろのものがふくまれます。わくわくいきいきと生きていることがラーハであるといいます。
労働のあとに許されるごほうびとしてではなく、人生でなによりも先に大事にされるラーハを、わたしは、「ゆとり」と「くつろぎ」をたして、「りくつ(理屈)」をひいた言葉「ゆとろぎ」にしてみました。「理屈抜きに、いつくしむ生」という意味あいをこめて。
(『ゆとろぎ―イスラームのゆたかな時間』xii-xiii頁より)
この記述に関連した最新の現地調査による研究成果は『サウジアラビア、オアシスに生きる女性たちの50年』(河出書房新社、2019年)46-47頁「「ゆとろぎ」とは」にあり