サウディアラビアのベールは、うすい黒い紗のようなものでできていて、これを顔にもかけます。わたしはフィールド・ワークの間、いつもこれをかぶっていました。砂よけ、紫外線よけにもなりますが、これをかぶると、わたしのほうから外は大変よく見えるのです。しかし、向こうからわたしの顔は、シワもシミも、全体の顔もよく見えないのです。きょうは、立派な男性がたもいらっしゃって、お顔をよく拝見したいのですが、このベールをかぶると、もっとジロジロと見せていただくことができるのです。向こうからこちらはよく見えない、ということには、ときめくような「匿名の解放感」があります。サウディアラビアの女性たちは、匿名の解放感をエンジョイし、ショウ・ウィンドウにならべられて、値ぶみされる商品になることをきっぱりとこばんでいる、ということでしょう。彼女たちは、お化粧も家のなかでしたほうがいいと言うのです。不特定多数の人がいる外に出るときにお化粧をするのは売春婦みたい、と言う人もいます。一緒に外出しようとして自分の口紅をとる人もいてビックリしたこともありました。「みられる女性」から「みる女性」への変身は、わたしたちにもなにか教えてくれるような気がいたします。
(『旅だちの記』319—320頁より)
イスラーム世界の外では悪名高き(?)ヴェールはこれまでイスラームの後進性の象徴であるかのように、非難されてきた。ヴェールは砂や日ざしをよける効果もあるほか女性の容姿が商品化されることを防ぐ意味もあり、近年、エジプトやトルコなどでもインテリ女性のヴェール着用が急増している。ヴェールをかぶることにより、容姿だけで判断されずに中身で勝負するようになることで、女性の社会的進出が促進されるという面もある。女性たちは日本社会でのような「見られる女」ではなく「見る女」なのである。
(『イスラーム世界』8頁より)
この記述に関連した最新の現地調査による研究成果は『サウジアラビア、オアシスに生きる女性たちの50年』(河出書房新社、2019年)44-45頁「「みられる私」から「みる私」への変身—「匿名の解放感」」にあり