フィールドを肌身で感じる

 私の調査地メッカ近郊のワーディフアーティマでは太陽暦十一月頃に、蠅や蚊が出て来る。ああ蚊が出て来た、涼しくなったのだなあとみんなほっとする。七、八、九月の真夏には、蚊も蠅もいない。ぎらぎらと照りつける太陽だけが君臨し、生きとし生けるもの全てひっそりと静まり返ってしまう。そういう時も、私は、調査に出かけていった。実際は、調査らしいものは、殆んどできなかったが。ガーゼの被り物を水にぬらし、それを全身にまとって、ガーゼがすいこんだ水分が蒸発する時に、私の身体から気化熱を奪っていってくれるのを待ちながら、昼寝ばかりしていた。それでも、そこに住む人たちのこと、その自然環境について、はかりしれない理解を、肌身でなしたといえる。憎々しい太陽が沙漠のかなたに沈んで、ひんやりする頃そこに住む人たちにとって夜がどのような意味をもつか、一日のはじまりが夕方だとされるのは、どうしてか、などがわかってくるのであった。

(『文化人類学―遊牧・農耕・都市』、50頁より)

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